大阪の桜ノ宮高校のあれ

そもそも体罰ていってるけど、
生徒が悪いことして、それに対しての体罰じゃないんですよね?
部活のキャプテンが能力以上のことを求められて、
それに答えられないから殴られてただけじゃないのかね。
亡くなった子がどういう子供だったのか知らないけど、
体育科で、部活をやめたら退学しないといけないって逃げ場のない状況で、
日常的に殴られてたらそりゃ追い込まれると思うのよね。


だからカリキュラムはほぼそのままで、
名目上は普通科ということにして、
部活やめても高校の卒業はできるという環境になれば、
少なくとも、こんなくだらない指導方法のせいで、
子供が自殺する確率は減ると思うんだけども。
今回のはそういうことじゃないの?

ビールってすごい

パ・リーグが開幕してすぐだったと思う。
僕は女の子と一緒に、グリーンスタジアム神戸オリックスの試合を見に行った。
ベンチ近くの内野席でまわりの席もうまってた。
あの年、オリックスの選手は「がんばろうKOBE」ってワッペンをくっつけてた。


試合は負け試合だった。
後ろの席には、うるさいやじを飛ばす酔っ払い二人が座ってた。
途中、一人がビールをこぼして、僕らの足元にビールが流れてきた。
「兄ちゃん、お姉ちゃんごめんなー」と申し訳なさそうにおっさんが言う。
振り返って、「大丈夫、全然気にしてないですよ」と言った。
おっさんには片腕がなかった。
おっさんはお詫びとして僕にビールを買ってくれた。
逆にお礼をいって試合を眺めた。


ビールをおごって貰った途端、おっさんたちの応援というか野次が心地よくなった。
7回くらいになり、もう無理だなという点差で負けていた。
守備が終わり、選手たちがベンチに引き上げてくる。
選手はうつむいてベンチに入っていく。
おっさんが大きく声をかける。
「おーい、うつむかんといてくれー、うつむいたらあかんでー」
すると、それまで静かだったあちこちの席から、「そうやで、がんばりやー」、
「明日は勝てるで」などの声援が飛んだ。
その日の試合は負けたけど、その年のオリックスはものすごい勢いで優勝した。


この優勝には、あの酔っ払いのおっさんの影響がかなりあるんじゃないかとわりと本気で思う。
イチローの活躍だってもしかしたら、あの酔っ払いのおっさんがきっかけの一つなんじゃないだろうか。
あの酔っ払いのおっさんすごい。
おっさんを酔っ払わせたビールすごい。
ビールってすごい。
だから今日もビールを飲む。
本当は発泡酒だけど。


それと、結論としてはグリーンスタジアムでもっと試合しろってこと。
合併ふざけんなってこと。
酔っ払いのおっさんなめんなよってこと。
今でも現役のイチローすごいってこと。

メモリーカードがクソ高いから2

PSVITAメモリーカードがクソ高いからnexus7を購入してみました。
すごく快適です。
アンドロイドってすごいのな。


PSVITAnasneの再生だけで使うことになりそう。
というか、ほぼ使ってない。
やっとpopメールに対応してくれたけど、
メールソフトで自分のメルアドの表示がでかすぎ。
メアドが周囲に丸見えすぎ。狂ってる。


そういえば、電子書籍はコミックしか読めない事にも大きなため息をつかされた。
きっと僕は、ソニーの想定するPSVITAのユーザー層からかけ離れてたんだろう
そうじゃないとこんなクソがっかり感が一年以上も続くわけがないもんな・・・


その点、nexus7は良かった。
ソニーのreaderアプリでコミックも読めるし、
なんといってもソニーのreaderアプリで、
PSVITAでは不可能だった小説を読むなんて高度な事もできる。
画像の転送・閲覧もフロッピーディスクPSVITAとは違ってサクサク。
あとは、nexus7でサカつく7ができれば言う事がないです。
ていうか、nasneの再生とサカつく7以外に、PSVITAの使い道がない。
いや、ポジティブに考えると、サカつく7とnasneがあってよかった。
やっぱり サカつく7最高!

メモリーカードがクソ高いから

またPSVitaの話だけど
メモリーカードがクソ高いんです
メモリーカードがクソ高いから最初に8Gのメモリーカード買っちゃったんです
32Gがクソ高いから
そしたらダウンロードしたゲームとかトルネの動画をいれる容量が全然足りないんです
メモリーカードがクソ高いから足りないんです
容量が全然足りないから多少やりたいゲームがあってもダウンロードしないんです
ゲームをダウンロードしないからPSVITAは最初に買ったサカつく7の専用機になってるんです
ずっとやるから、サカつく7をやっても人生にとって得なことは何一つないとふと気づくんです
でもたまにPSVITAを起動するんです
そしたらサカつく7しか入ってないんです
やってみたらまたおもしろいんです
だからたまに思い出したようにサカつく7をやるんです
メモリーカードがクソ高いおかげで、サカつく7と僕はりんごとシナモンのように仲良しです
サカつく7を題材にしたゲームがでないかな
でたら絶対買うのに
サカつく7をめぐるRPGとかサカつく7を探すアクションアドベンチャーとか
子供用の映画で、サカつく7 vs ゴーカイジャーとか
上映されたらすぐに見に行くよ
それもこれもメモリーカードがクソ高いおかげです

はたして小沢健二はオナラで月まで行けたのだろうか

「オナラで月までいつか行けたらいいな」
「そんなオナラ、ひょっとしたらできるかも」
そんな唄を聴いたのはいつ頃だろう
鈴木蘭々が最高にかわいかった時代だったのは覚えてる


オナラで月へ行くために、
手をふってしばしのおわかれをしてたけど、
最近復帰しましたね。
コンサートに行くには僕は歳をとりすぎた。
苦労してチケットをとっても一緒にいく人もいない。
男友達とオザケンのコンサートなんていけねえよ。
結婚してるから、そのへんの女の子を誘うこともできない。
つうか正直なところ、チケット取るのがめんどくさい。
もう夜更けに集うこともなく、黙って天を見るだけの生活。
オナラで月までいつか行けたらいいなとは思う。
今はまだ無理だけど。


ちなみに次世代の宇宙航行用エンジン(電磁加速)の
推進剤(触媒?)としてメタンが使用される可能性があるから
その場合は、人類の誰かがオナラ(から抽出したメタン)で月まで行く可能性も
ないことはないんじゃないかな。
たぶんないけど、行けたらいいなとは思う。
そして僕もまだ見ぬ女の子(秘密の関係)と
小沢健二のコンサートまでいつか行けたらいいなと思う。

君が代を歌わない先生

どうやら歌詞がおきに召さないらしいけども。
まあ、気に入らないなら歌わなくてもいいけど
起立くらいはしてもいいんじゃないかとちょっと思う。
他人事だけども・・


卒業式に教師が起立して「六甲おろし」を歌うってのを義務化した場合、
巨人ファンやドラゴンズファンの教師は歌わないかもしれないよね。
でも起立くらいするんじゃないかな。
しないかなぁ・・・


ドラゴンズファンのダイエーの店員が
名古屋のダイエーから
甲子園球場の近くのダイエーに転勤になって、
試合の日には客寄せのために阪神のハッピ着て
六甲おろしの流れる店内で阪神ファンに風船配れって言われたら・・・


いや、そうなるともうわけがわからないな
そもそもドラゴンズファンが
ダイエーに就職すんなよってことになってくる。
もう六甲おろし関係ない。


国歌の歌詞が「うんこうんこうーんこ、輝くうんこー」とか
そういうので、自分の立場が教師で、
それを起立斉唱しろって命令された場合を考えてみると
まあ、歌わないかなぁ・・
それに比べれば君が代の歌詞なんてなんの問題もないけど
こればっかりは個人の感覚だもんね

我々は髪の毛を失った。

しかし、これは敗北を意味するのか? 否! 始まりなのだ! 


幹細胞の培養・移植によって髪の毛が復活する可能性があるらしい。
ついにこの時代がきてしまったか・・・
失った髪の毛を人類の手によって、再びその頭上に輝かすことができる日がくるとは・・・


この席を借りて、世界の人々にハゲの主張を聞いて貰いたい!
私は、過去に金髪やモヒカンを嗜んだ30代である。
我々の主張を聞きたいと思っている人々は、地球上にも、宇宙にも多いはずだ。


私がこの場を借りて、父(かっぱハゲ)の遺志を継ぐ者として語るのは、
髪の毛を私物化する技術開発の動きが、現在、極めて横暴になってきたからにほかならない。
これはかつてのザビ家である。いや、地球上で始まったこの動きは、ザビ家以上に危険である
髪の毛が頭皮から離れたのは、なぜか、と思い出してもらいたい。
気持ちがストレスの重みで沈むのを避けるためだったのだ。


髪の毛が抜けることによって、人は純粋にその能力を広げることができる。
新しい環境で、人の能力は刺激を受けて、今まで眠っていた能力が拡大する。
たとえば、ハゲた人同士が、より理解できるようになるということだ。
俗にいわれるテレパシーとも異なる分かり方ができるのだ。
なぜできるか?簡単なことだ。
これまで、地球に住む我々の大脳皮質の能力は、五十パーセントも使っていなかったと言われる。
残りの能力は、ハゲたときのために、神が我々人間に与えて下さったものなのだ。
髪の毛を生やして暮らすことが最良と思う人々は、髪の毛に魂を引かれた者である。


ハゲの能力の拡大の可能性を否定して、ハゲの間に増毛欲求を生み出すことによって、
人類を生き続けさせようとするのがフサフサの狙いである。


しかし、それでは、過去から言われていたように、
ハゲが文明を発展させたという古い規範から、人は一歩も出ることはできない。
違う!人は、違うのだ。
ハゲて、心を開き、まだ目覚めていない、人の能力を高めれば、
人は、髪の毛なしで、永遠に発展し、増殖し続けることができる。

後退したオデコは、無限である。この無限という意味を考えていただきたい。
どのような叡智をも呑み込むだけの果てしなさを持ったもの、という意味である。
その果てしなさに対して、永遠に叡智を放出できるのもまた人類でしかない。
その叡智と気力、そして、精神を、なぜ人は、増毛にぶつけることだけで満足して死んでゆけるのか?


それが、人に与えられた使命ではない。神は、ハゲ駆ける者として人を創造されたのである
フサフサは、髪の毛に魂を引かれた人々で、フサフサの論理だけで革命を進めようとしているのだ。
しかし、それは革命ではない。
フサフサとハゲという階級だけを作り、その緊張感の中で、特定の人々だけが、利益を得る社会構造を作るだけである。
それでは、中世である。人に成長するなと言うに等しい。
人は、長い間、この髪の毛という揺り籠の中で戯れてきた。

しかし、時は、すでに髪の毛を頭皮から巣立たせているのだ。
髪の毛を自然の揺り籠の中に戻し、人間は自立しなければ、
ニコラス・ケイジが干涸びて、もと冬樹になる日は近いのである!